人に歩み寄らなかったJunが、人に共感出来るようになったStory Vol.1
こんにちは^_^
「世界をひとつなぎにして違いを活かし合える地球を福岡から!!」
をコンセプトに活動しているJunです。
今回から、Junの変化Storyを3回に分けて伝えていきたいと思います。
よろしくお願いします^ ^
【第1章 人に歩み寄るのを諦めた少年時代】
僕は幼少期の頃から、人との壁を強烈に感じながらずっと生きてきました。
その理由として、いくつか挙げたいと思います。
・母親からは、かなり強制的かつ強硬的しつけられた。
→これは僕が2歳の時に言葉の発達が遅れていて、それで医者に診断してもらった際、「お勉強はほとんど期待出来ません」と言われ、これは何とかしないといけない!!という切迫感が大きいです。
・父親からは、僕が4歳の時に花火をやりたいと言っても「ダメだ!!」と一喝されたり、勉強や運動が出来ないと「なんでこんなことも出来んのだ!!」と怒鳴られてきた。
→父親はオレ様型のワンマンタイプで、母親に対しても兄に対しても支配的な考えの持ち主で、言動の家族のことを全く省みることはありませんでした。
・3つ上の兄からは、「お前ちゃんとやれ!!」という具合で、人には決して優しくなかったし、特に中学までは優しくされた記憶はほぼ無し。
・幼稚園や学校の先生からは、「ワガママは許しません!!」「なんで言うことを聞けなんだ!?」と一方的に言われ、話を聞いてもらえたことがほとんどありません。
(小学校5・6年生の時の担任に至っては、僕の言い分を聞かず一方的に悪者扱いされて、しまいにはビンタされる、なんてこともありました。)
・同じクラスの人からは、変わり者という理由でイジメのターゲットにされて、誰も本当に助けようとはしてもらえずでした。
(やり返しても、さらに酷い返り討ちに合うことが、99.9%!!)
そんな事が積み重なり、
「誰もオレのことを分かろうとしない」
「どいつもこいつもオレの邪魔ばかりする」
という思いこみをつくり、
【オレの周りは敵ばかりだ!!】
としか観れなくなりました。
その結果、
【人に歩み寄るのをやめてしまった】
のでした。
そんなJunの基本的な態度は、
「まずはお前からオレを理解しろ!そうしたら心を開いてやる。」
「オレがいい思い出来るように、お前らが用意しろ!!オレに利益をもたらさないヤツはオレに近づくことは許さん!!そしてオレの邪魔するヤツは一切容赦しない!!」
でしたね・・・
まさに、
【1人帝国主義状態】
と言ってもよいでしょう^^;
もちろん、自ら人に歩み寄ることは無いので、同じ中学出身者が比較的少ない高校でも、出身地の愛知県から離れた滋賀県の大学でも自分の居場所と思える場所はありませんでした。
その結果、
【日本ではオレの居場所なんかどこにも無い!!】
と思うようになり、
大学生の頃には、
【こんな国から早く出ていきたい!!】
という気持ちも芽生えました。
そして、この気持ちは行動となって現れることになるのです。
【第2章 オレの居場所を求めてイギリスに飛び出した20代半ば】
大学卒業後、就職した会社が京都市のとある軍隊系ブラック企業だったこともあり、1週間で脱走。
これが引き金となり、
【日本から出ていってやる!!】
という思いが決定的なものになりました。
そして、20代半ばにオレの居場所を求めて、もともとヨーロッパに憧れていたのと(←意外にも、アメリカに対してはそこまで憧れてはいませんでした。)、幸い英語がは人よりは出来ていて、さらに母の兄から学校を紹介してもらったのもあって、2006年にイギリスに飛び出しました。
日本人じゃなく外国人なら、オレのことをもしかしたら理解してくれるんじゃないか、と期待に胸を躍らてイギリスで生活するも、この期待はカンタンにぶち壊されました💦💦
だって、Junは自ら歩み寄ることはせず、キャラの面白さには多少の自身があったので、他人から歩み寄って理解してくれるばずだ、という根拠のない自信を振りかざしていた為、結局はコミュニケーションが上手くいかず、時間が経つにつれてイギリスでも居場所をだんだんと失うことになるのです・・・
もちろん、外国への完全移住も叶うこともありません。
日本でもダメ、イギリスでもダメ・・・
日本人とはもちろんコミュニケーション取れないし、オレに歩み寄ってくれるごく一部の外国人以外ともコミュニケーション取れない・・・
そして失意の中で、2009年に何も得られないまま帰国することになったのです。
屈辱まみれで帰国したJunが、この後に待ち受けていたものは、一体何なのか?
この続きは、Vol.2にて。