日本の破滅を願うJunが、日本のプライドと出会った Vol.1
こんにちは^_^
「世界をひとつなぎにして違いを活かし合える地球を福岡から!!」
をコンセプトに活動しているJunです。
改めて、名刺代わりにJunがこれまでどんな人生を歩んで来て、そしてこれから何をしようとする人なのか、を皆さんに伝えていきたいと思います。
【第1章 日本の破滅を願う子ども時代】
実は僕は、幼少期から人や社会に対して壁を感じながらずっと生きてきました。
その理由として、
「日本の当たり前」
は僕の邪魔をし、僕の自由を奪うものだ、としか感じられなかったから。
もう少し具体的に言うと、
母親からは、
「人に合わせてうまくやりなさい」
「イヤなことがあっても、耐えてガマンしてやりなさい」
「レールから外れたら、あんたがもっと苦労することきなると」
ということを言われ。
学校の教師からは、
「集団行動を乱すな!!」
「モノを言うな!!」
「とにかく言うことを聞け!!」
と散々言われ。
社会の風潮は、
「空気を読め」
「自分を押さえて、日本企業や日本社会に貢献出来る歯車になれ」
(←これも単に日本社会がアメリカの思惑に従っているだけに過ぎませんが・・・)
「何か気に入らないことがあっても波風を立てるな」
という空気感(圧力?)を出しまくっていると感じられ。
さらに僕の周りの人たちからは、
「お前、ちゃんとしろよ!!」と何か僕がミスするたびに攻撃的な口調で言われることもあれば、
「お前まだ童貞なん?」と大学時代に言われることもありました。
このようなことが数えきれないほど積み重なった結果、
「日本が嫌で仕方がなかったJun」
にいつの間にかなっていたのです。
そして、大学生の頃には
「こんな日本からもう出たい!!」
「こんなワケの分からないしがらみだらけの日本なんか、サッサと破滅しろ!!」
と思うようになりました。
そこで、Junは一体どんな行動に出たのか??
【第2章 日本を見限ってイギリスに飛び出した20代半ば】
日本においては目も当てられないくらいにどうしようもないJunでしたが、唯一の救い(?)として、
「英語が一般の人よりは出来ていた」
のがありました。
この事と、母の兄が「シュタイナー学校の先生になるのにイギリスに行くのはどうだ?」と紹介してくれたことから、26歳の時にイギリスに飛び出しました。
最初のうちは、
「あー、自由だぁ〜」
と解放感を味わっていたけど、残念ながらこれも長くは続かなかったのです。
イギリスに行ったら行ったで、また別の問題に出くわすのでした。
・日本を出たのはいいけど、外国人とのコミュニケーションも上手くいかない。
→これは英語力の問題よりも、イギリスに行っても僕自身がそもそも人に対して大きな壁を感じていたから。
これじゃあ、コミュニケーション能力を求められるシュタイナー学校の教師になんか、到底なれませんよね・・・
・オーストラリア人学生に日本や日本文化のことを聞かれたけど全く答えられなかった。
→日本人なのに日本のことや日本の文化について全く知らなかったことに気がついた瞬間でした。
イギリスに行ったにも関わらず、シュタイナー学校の先生になって日本から完全に離れることも叶わなかった上に、
「日本とは何?」
「日本人とは何?」
という問題意識を突きつけられた状態で3年間のイギリス生活を終えたのでした。
敗北感に打ちひしがれて日本に帰国したJunに待ち受けていたものは、一体何だったのか??
続きは次回のブログにて。