新・日本の破滅を願うJunが、日本のプライドと出会った Vol.1
こんにちは^_^
【世界をひとつなぎにして違いを活かし合える地球を福岡から!!】
をコンセプトに活動しているJunです。
名刺代わりに、
【Junがこれまでどんな人生を歩んで来て、そしてこれから何をしようとする人なのか?】
を3回シリーズにて、皆さんに伝えていきたいと思います。
※「日本の破滅を願うJunが、日本のプライドと出会ったVol.1~Vol.3」に加筆・修正をしたバージョンをお届けします。
早速、始めていきましょう。
【第1章 日本の破滅を願う子ども時代】
実は僕は、幼少期から人や社会に対して壁を感じ、違和感と疑問を持ちながらずっと生きてきました。
その理由は2つ。
①「日本の当たり前」
は僕の邪魔をし、僕の自由を奪うものだ、としか感じられなかったから。
②「日本ならではの『○○すべき』や『普通』というモノ」
が、幼少期の頃から全く理解出来ず、敷かれたレールの上に乗っかる人生にをなぜ歩まないといけないのか、が全く分からなかったから。
もう少し具体的に言うと、
母親からは、
「人に合わせてうまくやりなさい」(←なんでそんなことしないといけないんだ?理解出来ない・・・)
「イヤなことがあっても、耐えてガマンしてやりなさい」
(←なんでガマンしないといかんの?はぁ?)
「敷かれたレール上に乗ることが一番楽な道で、一旦外れたら元に戻るのはもっとエネルギーいるよ」
(←じゃあ、レールの上に乗れない人はどうするんだ?その人を「落ちこぼれ」の烙印を押して見捨てるのか?それに、それ以外の道を歩んだらダメとでも言いたいのか?)
ということを言われ。
※カッコ内はその時に感じたJunの気持ちです。
学校の教師からは、
「勝手なことをするな!!」
「モノを言うな!!」
「とにかく言うことを聞け!!」
(←だったら、オレを納得させてみろ!!そうしたら従ってやるわ。)
と散々言われ。
社会の風潮は、
「空気を読め」
(←そう言うなら、失敗しない「空気の読み方」をオレに教えるのが先だろ!!怒)
「自分を押し殺して、日本企業や日本社会に貢献出来る歯車になれ」
(←つまり、会社や組織のドレイになれとでも言いたいのか!?オレはそんなのには絶対ならんぞ!!怒)
↑これも単に日本社会がアメリカの思惑に従っているだけに過ぎませんが・・・
「何か気に入らないことがあっても波風を立てるな」
(←ムダな争いは嫌いなので、波風は立てないけど、言う事を聞く気もないので、そのつもりで。)
という空気感(圧力?)を感じられ。
さらに中高時代の男子生徒たちからは、
「おい!お前、何やってんだよ!!」と何か僕がミスするたびに攻撃的な口調で言われることもあれば、
(←他の人ではなく、オレばかりに攻撃の矛先が向けられるんだ?なんで??)
「お前まだ童貞なん?」と大学時代に言われることもありました。
(←童貞で悪かったな・・・怒 まあ後悔させてやるから、今に見ておれ・・・)
このようなことが数えきれないほど積み重なった結果、
【日本がウルトラ嫌いなJun】
が出来上がったのです。
そして大学生の頃には、
【オレを受け入れようとしない、こんな日本から出て行ってやる!!】
【ワケの分からんしがらみだらけの日本なんか、サッサと破滅しろ!!】
と思うようになりました。
そこで、Junは一体どんな行動に出たのか??
【第2章 日本を見限ってイギリスに飛び出した20代半ば】
日本国内においては目も当てられないくらいにどうしようもないJunでしたが、唯一の救い(?)として、
「英語が一般の人よりは出来ていた」
のがありました。
この事と、母の兄が「シュタイナー学校を開講するけど、この学校の先生になるのにイギリスに行ったらどうだ?」
と紹介してくれたことから、26歳の時にイギリスに飛び出しました。
(日本の既存の学校教育に対しても「No!!」だったので、これもJunにとっては渡に船でしたね・・・)
最初のうちは、
「あー、自由だぁ~」
と解放感を味わっていたけど、残念ながらこれも長くは続かなかったのです。
というのも、イギリスに行ったら行ったで、また別の問題に出くわすのでした。
・日本を出たのはいいけど、外国人とのコミュニケーションも全然上手くいかない。
→これは英語力の問題よりも、僕自身がそもそも人に対して大きな壁を感じていたから。
(←実はイギリスに行く1年前の2005年に愛知万博の会場で働いており、この時に韓国人女性スタッフやタイ人女性スタッフともプライベートでも会えるくらいまで仲良くなれたので、そこで外国人とのコミュニケーションには多少なりとも自信がありました。しかし、これもイギリスに行ってから1週間ほどでカンタンにぶっ壊されましたね・・・涙)
これじゃあ、コミュニケーション能力を求められるシュタイナー学校の教師にはなれませんよね・・・
(←実際に、担当教官からも「先生になるのは勧めない」とハッキリと言われました。)
・オーストラリア人学生に日本や日本文化のことを聞かれたけど全く答えられなかった。
→日本人なのに(←日本人であることが汚らわしいほどイヤだったけど・・・)、日本のことや日本の文化について全く知らなかったことに気がついた瞬間でした。
イギリスに行ったにも関わらず、シュタイナー学校の先生になって日本から完全に離れることも叶わなかった上に、
「日本とは何?」
「日本人とは何?」
という問題意識も突きつけられた状態で3年間のイギリス生活を終えたのでした。
敗北感に打ちひしがれて日本に帰国したJunに待ち受けていたものは、一体何だったのか??
Vol.2に続く・・・