日本で人間関係を諦めたJunが、日本の誇りに目覚めた Vol.1
こんにちは。
「あらゆる分離・分断・格差を溶かし、世界をひとつなぎにして違いを活かし合える地球を福岡から!!」
をコンセプトに活動しているJunです。
これまで色んな角度から、JunのStoryを伝えて来ましたが、この度は新たな気づきや発見があったので、これを基にStoryを届けることにしました^_^
いつもながらの3回に分けて伝えるので、どうぞよろしくお願いします。
今シリーズのテーマは【関係性】です。
【第1章 人間関係を諦めたJunの少年時代】
僕はトコトン人間関係を諦めまくって生きてきました。
なぜならば、
周りが僕を受け入れようとしない人たちばかり
と思い込んで生きてきたから。
では、Junはどんな周りの人たちと過ごしてきたのか。
とにかくみっともないことが大嫌いで、人様に出て恥ずかしい思いをしないように、イヤなことでも我慢して合わせて上手くやれるように、をモットーに僕の気持ちを汲むことなく、意に沿わないことも「あなたの為」と強制する母親。
僕の思いや願望に対して「ダメだ!!」の一点張りかつ、勉強や運動が出来ないとなると、「なんでこんなことも出来ないんだ!!」と怒鳴り、チカラでねじ伏せる父親。
→これが、僕が怒る人を極端に嫌いになり、さらには僕のウルトラ同性嫌いの元になる。
それだけで済めばいいけど、幼稚園の頃は人の家に勝手に上がったりしたり、悪いことを悪いことと思わずしていたせいか、近所の近い年齢の男子にトコトン嫌われ、仲間外れは当たり前。
小学校〜高校まで、クラスの男子からは(←時々一部の女子からも)イジメや嫌がらせのターゲットとされることが当たり前。(例外だったのは小学校3年生と高校1年生の時)
さらに担任の先生からすればワガママで聞き分けの無い子というレッテルを貼られ、何かと悪者扱いをされ、ヒドイ時は一方的に悪者と決めつけられた上に、ビンタまでされることもたびたび。(特に小学校1・2年の男性の担任と5・6年の女性の担任)
でもね・・・
Junからすれば、別にワガママという認識も全く無く、ただ自分の思いや気持ちを正直に主張しているだけなのです。
にもかかわらず、僕を受け入れて理解をしようとはせず、むしろ不服を無理矢理受け入れさせようとするのでした。
これが積み重なった結果、どうなったのか・・・
身内も含めて、他人を邪魔モノとしか観なくなり、人間関係そのものが「鬱陶しいモノ」になっていったのです。
当然、Junは人間関係を切るようになり、高校2年生の頃には、
最初から人を近づけない
ようにもなりましたね。
(←これは、高校2年生の時の球技大会でとある事件が起こり、一方的に悪者扱いされたことが引き金にもなっています。)
こうしてJunは、
【精神的ウルトラ引きこもり状態】
になったのです。
こんな具合で高校を卒業し、浪人を経て大学入学した結果、待ち受けていたモノは一体何なのか。
【第2章 日本人同士の関係を見限りイギリス🇬🇧に飛び出すまで 〜大学時代から20代半ばまで〜】
高校卒業までに日本人同士のFace to Faceの人間関係を諦めたまま、大学時代に突入したJun。
人間関係を諦めるも、大学時代は彼女の1人は欲しくなる年頃に突入します。
でもまともに彼女が出来ず孤独で寂しくて満たされない日々が続きます。
そこで、Junがまず最初に取った手段がなんと、【メル友!!】
メル友なら、自分に対する先入観も無い状態からのスタートなので、コミュニケーションが苦手だった僕でも手軽に交流を取ることが出来ると考えたから。
ここから彼女を作ろうとしたこともあったけど、これも上手くいかずじまいでした💦
(←これにのめり込み、パケット代で5万円以上かかったことや、悪質サイトに引っかかり振り込め詐欺に合ったこともあります!!笑)
その次に考えたのが、
【相手が日本人だからダメなんだ、だったら外国人なら上手くいくはず!!】
でした。
何故なら、
【日本のワケの分からないアタリマエ】
がなく、
【1人の人間として純粋に観てくれる】
から。
なので、大学4年生でアメリカ留学していた時は気持ちの面ではラクでしたね。
また25歳の時は、
その時は韓国人スタッフやタイ人スタッフとも仲良くなり、プライベートでも遊びに行くくらいまでにはなっていたのです。
この時のちょっとした成功体験(?)もあり、
【日本人ではダメだ!!だったら外国人だ!!】
という考えが生まれました。
さらに親族からのカレッジの紹介の後押しもあり、
26歳の時に日本を飛び出しイギリス🇬🇧に行くことにしたのでした。
さて、イギリスではJunの期待通りにいったのか?
それとも、期待を裏切られる残念な結果になったのか?
続きはVol.2にて。